だいたいですね。会社内で普通に仕事をしているだけ。見よう見真似で、いつの間にか、
自然に仕事ができるようになっていたら研修がどうのこうのなんて話は出ませんわ。
前述の見よう見真似パターンで育つということ。現実にはゼロとは申しません。ただ、
実際に、講師生活21年プラスそれまで積み重ねて来た15年余りの企業人生活。合わせて、
かれこれ40年近くに及ぶ私の会社員ウォッチイングを振り返ってみても、
ハッキリ言えるのは、「そんな奴はいやしませんよ」ということ。
教育の「場」というのは必ず必要なのです。百万歩譲ったとして、特に手をかけずとも、
勝手に、育っていく人がいたとしても、会社としては、それを手放しで喜べるかという
ことです。喜べるとは限らないのですよ。このパターンの場合は、自分が育ちたいように
育っていきます。その向きは会社の願うものと合っているとは限らないです。組織目線
では無軌道みたいなものです。
【結論】
その会社にとって、有為な人材になってもらうためには、社員教育は必要。
必要な人に、必要なタイミングで、必要な手間をかけないことを「捨て育ち」といいます。
別名、これを放置プレーと申します。ほったらかしですわ。
これを読んでいただいている経営者・経営幹部の方々へ。
「ウチに優秀な人材が入りましてねぇ」と悦に入るばかりで、教育の手間をかけていないと
いうことはないでしょうね。「言わなくても、どんどん動いてくれるのよ」と喜んでいても、
それは、会社にとって望ましい動きをしているとは限りませんよ。その人が、その人にとって
良いと思うことを全力でやっています。
・ウチは社員教育なし
・すべては個々の社員の自主性に任せています
こんなので、順調に行っている会社を、わたしゃ、ついぞ見たことがありません。
いや、ほんまの話。
最低でも、ウチの会社の根本たる基本的な考え方(=「価値観」)を教育しておかないと、
ウチの会社にとって大切だとする事柄が違う社員が存在することになります。
あなたの会社が、しっかり社員教育していたとしても、「困ったちゃん」が現れるのが現実です。
人が集まって、組織をつくっていくうえでは、そこに教育は必須となります。
あっ、これは、決して全体主義の独裁組織を作ろうという話ではないので、そこはお間違いなく。
命令されて、「イーッ!」としか言わないショッカーの戦闘員みたいなのをつくる訳ではないのです。
(例えが古かったらごめんなさいね)
「自由」というものは「責任」の上に存在するということを知らない人は少なくないのです。
ではまた。
つづく