俺の研修論【2】研修って必要なの?

 コロナ禍に見舞われた2020年2月下旬より研修業界は激動の渦の中に巻き込まれた。
相次ぐ、キャンセルの連絡。同年4月上旬に発出された「緊急事態宣言」あれが混乱を
最高潮へと誘っていった。私にとっても、同年5月と6月の2か月間連続の登壇ゼロは
大きな衝撃だった。長年かけて築いた城も崩れるのは一瞬だった。

 時は過ぎ、2021年12月。事態は完全収束とはいかないものの、各企業、団体は、
この感染症との付き合い方を注意深く励行しながら、研修は感染防止を厳にしながらの
対面型と、オンライン型、2つの方式を使い分けて実施するようになった。
方式の違いはあれども、教育機会の確保重視となり、キャンセルが相次いだ
「研修は不要不急」とされがちだった頃の感覚より脱却したというのは業界に身を
置く私としては、安堵しているところである。

 さて、ここで、今更ながらの根本的な問いかけを一発!
果たして、本当に、研修っていらないものなのだろうか?

 いらないとなると、私の商売はおしまい!という理由ではなく(正直、全然ないとは
言わないが)、研修はやっぱり必要なものであると、今一度、関係者の方々には理解して
おいてもらう必要があると個人的には思っている。
研修は知らないこと、知るべきことを知る機会。そして、分かっておかないといけないこと
を分かるようになる機会。どうやったら、できるようになるかを掴む機会でもある。
う~ん、いろいろ書くとまどろっこしいな。

 私に言わせれば、研修とは「刺激」と「覚醒」の機会、いや「場」としておこう。
「覚醒」と書くと何やら危ない雰囲気が漂うが、そっちではない。
 話を戻す。この「場」に身を置いて、知って、分かって、そして、実践行動ができる
目途が付いた時に見える風景があると加えておこう。目の前の曇りがクリアになった時、
人の顔は(心も)晴れやかになる。それこそが、研修の成せる技だ。

 受講者の方々のその晴れやかな顔をつくるために、プロ講師の私は、必死に準備に明け
暮れるといっても過言ではない。
 研修のメリットというのは、定量化(数値化)はもとより表し難いとはよく言われる
ところではあるが、デメリットは表し易い。教育がないと、知れない、分からない、できる
ようにならない日々を積み重ねるのみとなるのだ。

 教育されていなくても、自分一人で成長できる人は、自分で自分を教育できる人だ。
そんな人、どれだけいるのだろうか。
敢えて言う。研修は教育の有効な一手法だ。遠くまで着実に歩んでいくためには、道が
しっかりとしていなければならない。武者小路実篤は「僕の後に道はできる」と言ったが、
実際にはこれができる人はごく少数だ。道はある程度造っておいたほうがよい。そして、
その道は歩みを加速させることともなる。

 そんなこんなを考え合わすと、研修は必要か否かと問うのではなく、成長に着実性、
高速性を伴わせたいかということで問うべきなのが妥当なのだ。