若い時には気づかなかった『おしん』の値打ち

9月16日(月)の夜でしたか。
いやぁ、観てしまいました。橋田壽賀子スペシャル。
「渡る世間は鬼ばかり」なんと3時間。

最初の遺言書のくだりだけと思って観てみたら、結局、最後まで。
何年振りだろ。テレビの前に3時間座っていたのは。

これは、毎朝、「おしん」の再放送を観ていることも関係がある
のかもしれません。

橋田さんのドラマの批評については、今の僕は関心はありません。

脚本家として、視聴者に、懸命に問いかけを投げ込んでくるその姿勢
のすごさに今更ながら気づいた感があるのです。

研修講師も受講者に演習に取り組んでもらったあと、耳の痛いことを
ズバッと指摘しないといけないことがあります。

こういった場面は、勇気を持って踏み込まずに、中途半端にやってしまうと、
意図しない結果になってしまいます。

かつて、もう何年の前ですが、ちょっと遠慮して、オブラートに包んだ
言い方をしたら、研修後のアンケートに、その受講者から

「この講師はこの研修に不適である」と書かれたことがあります。
こりゃ、なかなかの衝撃でした。

「変わった受講者だ」と切り捨てれば、そこまでの話ですが、それは他責のスタンス。
自分のほうに至らぬことはなかったかと問うてみれば、何かが目に入って来ます。

相手に愛情を持って、たとえ、嫌われても伝わる言い方ができるかどうか。
そこに向き合っているいくことができるかなのです。
とはいえ、こちらがそういう努力をしても、誰もが受け容れてくれるものでもありません。
ひどいことをアンケートに書かれることは減らないかもしれないけれど、まずは、
プロとして精一杯のことができるかどうかを考えないと。

日本経済新聞 2019年5月24日(金)朝刊 『私の履歴書』こういう記述がありました。

以下引用~
 乙羽信子さんのおしんは晩年にかけてスーパーの仕事に専念する。すると視聴者から
「商売の鬼になっている」「こんなおしんは見たくない」といった反響が増えてきた。
それこそ私が狙っていたことだった。あのころの日本人は金もうけに走りすぎて、本当の
自分を見失っていなかったか。~中略~
私はおしんを通じてそう言いたかった。
~引用終わり

令和の今風に言えば、「炎上させたいなら、させやがれぇ!待ってるぜ」といった感じかな。
橋田さん、いや橋田先生の肝の据わり方の半端ないこと。そういったことに気づける自分
になったことを発見しました。

研修家は提供する研修プログラムで、何を言いたいのか。受講者の方々に、何を問いかけ、
気づいてもらい、学んでほしいのか。
脚本家と演出家と出演者がつくるドラマには、研修家が学ぶべきことがいっぱいあると
分かりだしました。

良い研修。「やって良かった」研修を提供する担い手としての修行はまだまだでございます。
年嵩重ねたお値打ちをつくっていきたいと思う令和の初秋でありました。