「実るほど頭を垂れる」の深い意味

先日、ご依頼を受けて、とあるところでミニ講演(講話)をして来ました。

先輩が後輩に語るというタッチで、皆さんのお役に立つお話をというもの。
実は、ご依頼を受けたときは、驚きながらも、これまでのご恩返しの気持ちもあり、
私でお役に立てるならと、すぐに、お受けするお返事をしました。

さて、ここまでは良かったのですが、年が明け、そのあとは、出講・出張スケジュール
に追われる毎日。

それでも、本件、気にはなり続けていて、2月ぐらいから具体的な構想に着手はして
いたのですが、その日はどんどんと近づいて来ていました。

「講演」というと、講演者が好き勝手にしゃべっているように見られがちですが、
少なくとも、私のようなプロ講師にはそういうのはあり得ません。

目的を持って、成果を出すためのものです。
今回は、後輩の方々の不安を解消し、皆さんの今後の活躍のお役に立つためというもの。

4月の新入社員研修シーズンをひと段落させると、いよいよ本番近しとなりました。

あれもこれも話してあげたいと考えだすと、いくらでもボリュームが増えて行きます。
あれを切り、これを編集整理しながら、与えられた貴重な時間の中で、いかにまとめて
いくか・・・

その日の朝にも投影用のスライドを直しているような始末でしたが、なんとかお話を
させていただきました。

聴衆の皆さんと同じ立場だったときの私がぜひ聴きたかった話を中心に構成させて
もらいましたが、少しでもお役に立てば嬉しいなぁと思っております。

今回は語り手の役割をさせてもらった私でしたが、今回の準備をしながら、いかに
ここまで自分が多くの人に支えてもらって、ここまで来れたかを再確認させてもらった
ような気がしました。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」は、立派になるほど謙虚にという意であることは、
知識としては知っていましたが、

それだけじゃないんですね。むしろ、その理解は薄っぺらい。

自分が実っているのは、たくさんの方々のおかげと感謝の念で、頭が下がるのです。

齢50半ばの自分を顧みれば、たいして実っていない自分なら、それでもここまで来れて、
そりゃ、頭は垂れて当たり前。反り繰り返るなんて、とんでもないことです。

今回の経験はいろんなことを考えさせてくれました。

私がもう一つ大事にしている言葉。

「先生と言われるほどのバカでなし」この言葉もあらためて噛みしめております。